あやもがのあうとぷっと

20代 女性 会社員(ITエンジニア)

エンジニアになりたくなかったエンジニア1年目(現2年目)のはなし

おことわり

このブログは、主に自分の振り返り用に書くので

「未経験エンジニア」エントリとしては全くもって王道ではありませんが、

「こういうエンジニアのなり方もあるんだ」と思ってもらえると嬉しいです。

(あと、「あやもが先輩という存在は知っている」みたいなICT委員会の後輩にも

これをきっかけに少しうちのことを知ってくれると嬉しいな。)

 

改めて自己紹介 

 

はじめに

うちがこのブログで一番何を書きたいかというと

エンジニアになりたくなかったはずなのに、ガチなエンジニアを目指している

現在に至ったのはなぜか?ということです。

正確な表現としては「エンジニアになりたくなかった」ではなく、

「自分がエンジニアになれるはずがない」と思い込んでいたからでした。

それが今では一人前のエンジニアになりたいと本気で思っている(自分が一番びっくり)

ので、そのトリガーを振り返ってみます。

 

まずはその前に、エンジニアとして入社した経緯をざっくりと紹介すると、

  • 高専時代のICT委員会の活動でIT業界の片鱗を味わい、憧れる
  • プログラミングをやるも、2・3ヶ月で挫折
  • 高専プロコンでの経験から、「色んな高専生と交流するのが好き」と気づく
  • 高専生なら誰もが(?)知るしおみさんのような、採用人事になりたいと思う
  • 就活するも、新卒で採用人事になるのはほぼ無理ということがわかった
  • そんなとき、ICTの同期から弊社を紹介してもらい、会社見学した
  • 上記の内容を正直に話したところ、「エンジニアも人事もどっちもやれば!」と言われた
  • ↑を本気で信じ、採用を受け、エンジニアとして入社

といった具合です。弊社の高専リクルーター 某川さんに、

「いきなり人事ってのは厳しいかもしれないから、高専出身を活かしてエンジニア

のことがわかる採用人事を目指したらいいじゃん!」と、

いい感じに口車に乗せられたのがきっかけでした。

 

さて、徐々に本題に入っていきます。

 

入社前に、内定辞退を考えた

内定が決まってから、入社に向けてプログラミングの練習をしないといけない

ことは頭にありましたが、学生生活最後だからと遊び呆けていました。

そんな中、後学期に入って入社前課題が出されました。

プログラミングに触れたのは、実に3・4年ぶりでした。

はじめの方はどうにか自力で解けるものがあったり、同期に泣きついて

教えてもらいながら解けた問題があり、提出できました。

(夜中に後輩にも泣きついたことがあった…)

 

しかし、2回目の課題以降は自力で解けるどころか、教えてもらっても

全く理解できず、どんどんやる気は削がれていき、絶望に変わっていきました。

「自分はやっぱりプログラミングなんてできない、できるわけない」

「こんなんじゃ、入社しても迷惑なだけだ、役に立つはずがない」

「内定を辞退させてもらえたら、どんなに楽か」

そんなことを思い、某川さんに泣きながらskypeしたり、

うちを心配して沖縄出張の合間に直接話を聞いてくれたりしました。

 

どうにか平常心を取り戻したときに、やっとMきょーじゅに

「教えてほしいです」とお願いしました。

そう、ずっとこれができていないことに気づいていませんでした。

でも時すでに遅し、学生最後の春休みでした。

 

入社1ヶ月、社会人を諦めたくなった

最初の1ヶ月は新人研修と題して、リクルート外部研修や社内研修が主でした。

これもまた、個人的にはかなりしんどくて、「社会人としてやっていくには

自分はクズすぎる…淘汰されそう…」と毎日泣きそうでした。

 

でも、社内での新人研修を仕切っていた人事の方がとても面白く、

社会とは・社会人とは・会社とは、などの本質的なことを沢山教えてくれた中で

一番大事な教え「素直な心」でいることと、Mきょーじゅの「新社会人七か条」

徹底的に守っていこうと決意しました。

 

言語研修、ほぼ毎日居残り勉強した

新人研修後は、言語研修が2ヶ月間ありました。

弊社ではC++をメインで使っているため、C言語からのスタートでした。

ここで私は、以下のことを非常に強く意識しました。

  • どんなに分からなくてつらくても、分かるまで諦めない覚悟
  • 逃げない覚悟
  • 人の倍以上、プログラミングと向き合う覚悟
  • 後がない覚悟
  • 恥を捨てる覚悟

とにかく、「覚悟をもって」取り組んでいきました。

自分が選んだ道を後悔したくない、送り出してくれた親や先生を

悲しませたくない一心で必死こいて研修をうけました。

(簡単には理解できない自分との戦いは本当にしんどかった…今でもしんどい)

 

当然、業務時間だけじゃその日の内容を全て

理解できるわけもなかったので、業務後に会議室で1~2時間の

自習や補習をしました。

会社に11,12時間居るのは体力的に一番きつかったけど、

「やるしかない」以外の選択肢はありませんでした。

そして、この勉強に付き合ってくれた上司のK木さんの存在

うちの社会人生活を大きく変えてくれる人となります。

 

最大のトリガー、マネージャーのK木さん

もう、最大にして唯一と言っても過言ではないくらい

研修でも今でも面倒を見てくれている上司のK木さんの存在が

本当に支えとなりました。

 

プログラミングを一から教えてもらう中で、コミュニケーションが

とれるようになっていきました。

コミュニケーションがとれるようになると、

相手との距離感が縮まることでもっと質問しやすくなったり、

素直になるのが怖くなくなったりします。

素直になるというのは、「何が分からないかが分からない」と言えることです。

これは、実は結構勇気が必要だったりします。

しかし初心者のうちは(今でもですが)、新しいことを学ぶ度につきまとう現象なので

素直に伝えられることがとても大切です。

 

また、自分の考え方やプライベートな話ができるように

なっていったのも、大いにプラスに働きました。

(うちは無類のおしゃクソなので、おしゃべりによってストレスを解消しつつ

楽しさを得ることができていました。)

 

K木さんが、うちのやる気と必死さに応えてくれたことで

今まで「自分に理解できるわけない」と決めつけていたことが

少しずつ理解できるようになっていき、問題が解けたときの喜びや

成長を認めてもらえることが、本当に嬉しくて楽しくなっていきました。

 

(最近本人から聞いた話ですが、K木さんとしては

「人事をやりたいとか抜かしてるやつに本気でプログラミングを

好きになってもらおう」と意気込んでいたみたいです) 

 

スピンオフ:高専リクルーター 某川さんというスタンド 

説明のなかった、弊社高専リクルーター(仮名称)の某川さんについて

少しだけ記したいと思います。

某川さんは、弊社と沖縄高専(ICT委員会)を繋げてくれた張本人ですが

本業は高専リクルーターではなくIRを担当されています。

両者がどのように繋がったかの説明は割愛しますが、

ICT委員会の活動を一番に応援してくれています。

これを機に、弊社はICT委員会へスポンサー(?)という形で活動資金を寄付しています。

 

某川さんを一言で表すと「ウザい」に尽きるのですが、

これは褒め言葉として使っています。

初めてskypeしたときに「このおっちゃん押しが強すぎる…」と若干引きましたが

このウザさに、入社前も入社後も救われ続けています。

部署は違うため、上司として関わることはありませんが

いつでもどんなことでも応援してくれる某川さんの存在もとても大きいです。

いつか、某川さんと一緒に高専リクルートの旅をするのが夢です。

 

OJT一発目、人生初のアプリ作成

言語研修が終了後、OJT(On the Job Training)に入りました。

本来、OJTは実務をこなしながら仕事を覚えていく手法ですが、

うちの場合は研修の延長上として、勉強メインでした。

OJTでの大きな目的としては、弊社での開発手法ウォーターフォール式を

を覚えていくということでした。

 

一発目のお題は「パッケージの差分抽出」でした。

製品のパッケージにおいて、旧PKGと新PKG間で変更・追加・削除があった

ディレクトリやファイルの差分を別ファイルに抽出するという内容です。

パッケージも差分抽出もさっぱりでしたが、まずはどういうことをしていく

必要があるかを説明してもらい、設計をはじめました。

 

設計→実装→テストの流れを以下のように取り組んでいきました。

  1. 文章フロー作成(→まずは日本語から考える)
  2. フローチャート作成
  3. コーディング
  4. コンパイル、動作確認
  5. テスト方案書作成
  6. テスト(→結合試験のみ)
  7. 不具合登録
  8. 不具合修正

開発スケジュールはK木さんが組み、目標値は「1ヶ月」でした。

結果、トータルで2ヶ月半かかりました。

体調不良が長引いて全力を出せない日が続いたり、

テストまで完了し課長にアプリを渡したら一発目で動かない、

起動引数チェックが皆無で作り足す、

自分で動かすと正しく抽出できているのに、再び課長に動かしてもらったら

途中まではうまくいって、あるとこを境に落ちる…

そのバグで丸2日頭を抱えているのを見かねたK木さんが助けてくれた結果、

再帰の限界によるものだと判明しました。

動作に違いがあったのも、うちが用意していたテストデータの数よりも

本物のデータ(実際の製品PKG)数があまりにも多かったためでした。

当時の私からしたら本当に衝撃的なことでした。

 

自力で解決できなかった悔しさはありましたが

初めて自分で設計→実装→テストまでやって、

動くものが完成した達成感と感動とあの嬉しさは一生忘れないと思います。

(補足:言語はC、総ステップ数は約2000。今思うと、よくCで書き上げたな…)

 

そんなこんなで、その後もOJTの勉強用プログラムを通して

C++SQL、DB I/Oクラス、HTML&CSS、JSを触りました。

そしてついに、1月末からお客様のカスタマイズ対応に入りました。

入社から約10ヶ月、やっとお仕事デビューです。

同期の中で一番長く勉強をさせてもらったことには感謝しかありません。

 

実は、弊社見学に来る高専生と交流させてもらっている

入社前から「採用人事や高専リクルーターをやりたい」と公言していたため、

某川さん伝いでK木さんはうちの本心を知っていました。

度々、うちがなぜそっちに興味を持っているかなどの話を直接聞いてくれました。

 

エンジニアとして開発に属している以上、業務が優先なのは当たり前ですが

できる限りの中で高専生との交流をさせてもらっています。

高専インターン生との座談会、会社見学に来たICTの後輩や他高専生との交流など、

うちが目指しているものに近いことをさせてもらっています。

 

まだまだ技術力なんて伴っていない中で、

こういうことをやらせてもらえているのは幸せです。

だからこそ、もっともっと技術を身につけて

高専生なら、あやもがさんに任せればいい」と

言われるような存在を目指しています。

直近の目標としては、今年のインターンシップのメンターを任されたいので

ICTの後輩や色んな高専生が来てくれると嬉しいです。 

 

Mきょーじゅや、同業の友達、ICTの後輩の存在

仕事場での経験は勿論ですが、うちが今まで関わらせてもらっていた

環境や人たちからの影響がモチベに繋がっていることをとても実感します。

Mきょーじゅには、入社以降度々DMを飛ばして戒めの言葉や励ましの言葉を

もらったり、友達宅で技術話を聞いたりオススメの技術書を貸してもらったり、

大会で実績を残しているかわいい後輩に何か一つでも学んだことを話せるように…

などなど、刺激を沢山くれる人たちが周りにいて本当に贅沢だなぁと感じます。

 

刺激をもらってばっかではダメなので、うちなりに少しずつ還元していきたい!

という気持ちが直接的なモチベになっています。

いずれは一緒に開発とかできると、とっても楽しそうだなと妄想しています。 

 

信頼できる人のもとで、やりたいことをやっている毎日

入社前、入社後のことを色々と振り返ってみて既に4920文字…

本当に個人的な経験でしかありませんが、

全体を通して「環境と周囲の人の素晴らしさ」に支えられています。

学生時代から、このことに気づいてもっと頑張ってれば良かった

なんて後悔を言っても仕方がないので、

一日でも早く何か一つでも多くのことを身につけて

環境と人に貢献していきながら自分自身も成長してけたらなと思っています。

 

今回のブログでは一般化できた話はありませんでしたが、

エンジニアを目指す理由は本当に人それぞれです。

普通な理由であろうと特殊な理由であろうと、

「エンジニアを目指したい」と心から思えることが大切なのではないかと感じます。

 

今のあやもがが目標にしているところ

実はこのブログを書き始めたのは2ヶ月前で、社会人1年目が終わる

3月末に投稿しようと思っていました。

タイミングを見計らっていたこの2ヶ月間で色々なことを考えていたら、

「これまでつらつらと書いてきた爽やかな気持ちは消え去りました」 

 

目標含めて、というか目標が決まったからこそではありますが、

次回ブログで「ありのままの叫び」を書き殴りたいと思います。

心情としては、この綺麗な前向きブログを公開するのをためらうくらいには

メンタルがカオスになってしまいました…

 

以上です、読んでくれてありがとうございました!